ああギャルに救われたい

 

ギャルに救われたいって唐突に思った。

 

最近何をしていてもしっくり来ない。仕事をしている時も、ごはんを食べている時も、走っている時も、寝ている時も、映画を観ている時も、大好きなお酒を飲んでいる時も、全部がどうしようもなくしっくり来ない。

 

これはどうしたことかと、ただ、ぼーっとお酒を飲む日を作ってみたら「ギャルに救われたい」って感情が突然、突如、何の前触れもなく、心のド真ん中にドでかくド派手にテッテレー!みたいな陽気なBGM付きで登場した。それが妙にしっくり来た。いまさら録画してた中学聖日記を流し見してた時。有村架純の「黒岩君が好き」ってセリフが流れてて、思わず、マジでかわいいって口に出したすぐあと。この数ヶ月で初めてしっくりくる存在が「ギャルに救われたい」って感情だった。どうやら、かわいいには脳を活性化させる作用があるらしい。かわいいの副作用はすさまじい。古今東西かわいい女を巡って争いとか起こるもんね……。でも今の私はかわいいじゃ救われない、ギャルに救われたい。

 

ギャルとの関わりをさかのぼれば、小学生の時が初めましてだったような気がする。私は、『りぼん』で連載されていた『GALS!』って漫画が好きだった。当時、クラスの友達と話す時は『なかよし』派気取ってたけど、思い返してみると『りぼん』で連載されてた漫画の方が好きだった。大人に見られたかったから『なかよし』派ぶってたんだと思うんだけど、実際に大人になると自己プロデュースの方向性おもろってなるよね。それだけじゃ大した違いもないのに、たったそれだけのことで何かを誇示していたんだと思う。でも、「なかよし派?りぼん派?」が高校生になってからは「好きな音楽は?」になって、もう少し経ってからは「好きな作家は?」になって、答えにどれだけ創意工夫あるかで判断されているような怖さを感じていたから、私なんていつまで経ってもそんなことでビクビクとしてしまう人間なのだと思うのだけど。

 

話は逸れたけど、『GALS!』ね。お察しの通り登場人物は全員ギャルです。渋谷のカリスマギャル・寿蘭ちゃんが送る、青春熱血ストーリー(?)。いま見る、寿蘭って字面マジですごいと思わない?ギャルを中国人に説明する時に使おうなって感じ。Wekipediaから引用した寿蘭の説明も強いよね。星座、要る?って思ったけど、やっぱりギャルって星座占いとかで一喜一憂してて欲しいもんね。要るね。

 

警官一家の長女(第2子)で、鳳南(ほうなん)高校に在学。「渋谷最強のギャル」とその名が知れたカリスマ女子高生。星座は射手座。

 

小学生のころの私には、この漫画は絵本みたいなものだったんだよね。周りにギャルがいなかったから、この漫画の中だけのファンタジーみたいな存在だったんだと思う。渋谷最強のギャルって響きに親しみがなくて、だから好きだった。寿蘭の周りの評判に負けない姿がかっこよく見えていたんだろうなあと思う。誰に何を言われようと、好きな派手髪を貫くし、好きなように生き方を選ぶ。いつも自分が好きな自分でいれるように努める。子どもながらに好きな自分でいることの難しさを感じていたから、そういうのいいなって思ってた。たぶんギャルに憧れてた。その精神の在り方が好きだった。でも、別に金髪に赤のメッシュ入れて、ミニスカートにして、放課後は渋谷に集まって、家族と友達と彼氏が何より大切ってライフスタイルが好みかって言われたそれは全然そうじゃない。どちらかと言えば、髪は抑え目で、露出は少なくて、落ち着いた街で遊んで、一人の時間を大切にしてって方が好きだけど、自分のことを好きでいれてる様子がキラキラして見えたのかな。小学生の時は流石にそうはなれなかったけど、中学生の時には形から入ってギャルっぽい恰好とか、振る舞いとかしてみた時期もあったくらいにはその憧れは強かった。結局精神的な意味ではなれなかったけど、なれないからこそ憧れてたんだと思う。

 

そうしてギャルは憧れであってなれる存在じゃないのだと悟って高校生になった私に、ああこの子は寿蘭だって思う友だちが出来た。顔が抜群にかわいくてモデルをやるような子。明るくて少しバカで、でも憎めない愛嬌があって、強くて優しくてみんなから愛される子。私はその子と一緒にいる時、ひだまりの中にいるような気分になっていた。顔とか明るさとか優しさとか、そういうところじゃなくて、ただ一点自分に素直な様子に心底安心していたんだと思う。その子はいつも身に着けたい物だけを身に着けて、言いたいことをストレートに言って、笑いたい時に誰よりも笑って、泣きたい時に大声で泣いていたから。穏やかな子じゃなかったけど、いつも素直だったから。普通じゃんって言われたらそうなのかもしれないけど、私はそう出来なかったから他の誰かがそうしてくれているのが、まるで自分の代わりかのように思えてホッとしていたんだと思う。つまるところ、自己投影して救われていた。

 

で、そんなある日。その子が「◯◯は人の気持ちを考えられるとこがいいところだよ」と私に言ったことがあった。なんの脈絡もなく急に出てきたその言葉を受けて、頭がカッとなって血がのぼっていったような感覚を今でも覚えてる。何か返事をしなきゃと働かせる頭は血液がぐるぐる目まぐるしい速さで回ってジャンク品だったし、口も砂漠みたいにパサパサに乾いてしまっていて、結局は喉の奥を揺らすみたく笑うことしか出来なかった。その日は、やっぱりなって思いながら、どこか悔しいような感情があって奥歯がギリリと音を立てていた。そんな日だった。急になんのこっちゃ?って感じだと思うんだけど、ギャルに敵わないって心底思った日だったって話。ギャルに憧れて、ギャルになりたくて、ギャルと友達になって、辿り着いたのが「ギャルへの敗北感」だったのなんか残念だったよね当時の私。

 

って、そんな子ども時代に感じていた感情を、突然思い出したのが今日だった。いつからこの感情を忘れていたのか覚えていないけど、急に、まるで本当はずっとそこにあったかのごとくハッキリとした輪郭と手触りと存在感を持って私の中に現れたの今日。その勢いで2000年のインターネットみたいな自分語りもしてしまった気がするんだけど、もしかしたら私は文章の中でだけはギャルになれるのかもしれないと今書きながら思った。正直、酔った勢いで何も考えずに書き始めたからオチも何もないんだけど、流れも考えずに文章を書いていたら、寿蘭や高校の友だちのような素直さがどこからか湧いてきてビックリしたって話。幼少期からずっと憧憬を抱いていた、届かなかった素直さ、つまり私の思う”ギャル”を手に入れられたのが、今って話。なんか書きたいこと違った気もするんだけどもう眠い。なんというか今なら「ありがとう」的なこと例のギャル友だちに返せる気がする。ああ、なんか、自分の中のギャルに救われてる気がする。ああ、ギャル最高。出来るならもう一回ギャルと友達になりたい。DMくれ。