アプガの言うパリピってまじで包容力に溢れてるわよ!!!

アップアップガールズ(仮)の約1年半ぶりの新曲「パーリーピーポーエイリアン/セブン☆ピース」のリリースイベントに行ってきて思ったことを書くよ。場所はららぽーと柏の葉 本館2F センタ―プラザ、彼女たちが12月からやってきたリリイベの最終日。個人的に結構複雑な気持ちで参加したんだけど、とにかく楽しかった。これがMV。

 


アップアップガールズ(仮)『パーリーピーポーエイリアン』(UP UP GIRLS kakko KARI[Party People Alien ]) (MV)

 

今回の新曲をアピールするにあたって彼女たちが何度も何度も口にしてきたのは「パリピ」。ツイッターハッシュタグでも「#パリピ化」を利用して「アプガを媒介にして楽しんでいる様子」を集めていたりしてた。まあとにかく言い続けていたことはパリピになろうぜー!一緒に踊ろうぜー!っていうやつだね。

 

アイドルとパリピってどうにも結び付けづらいと思うんだけど、今回ミニライブを見て彼女たちが提唱するパリピって一般的に通る意味よりずっと広義で、そして根源的なものなんだと思った。と言うのも、パリピって聞くと、クラブでテキーラ飲んで今日初めて会った人々が騒いでいる姿や、大してサッカー好きでもないのにビッグイベントの時だけユニホームに身を包んで大挙する様や、最近だとハロウィンの時に溢れかえる仮装集団を思い浮かべるのね私は。これって渦中に居たら本当にもう楽しくて楽しくてしょうがないんだけど、その中に入っていかない、あるいは入っていけない第三者から見ると"何か"に踊らされている様にも見えると思うの。要するにアホに見えると思うのね。何なら全部体験して楽しんじゃった様な私ですら「あ、なんかに踊らされてる」って思うもん。でも楽しいと思えるから踊らされてるとか関係ないわー!!踊らされてようが楽しいと思う気持ちは自発的だしなー!まーいっかー!みたいなさ、結局アホな考えに至るのね。そう、パリピって「アホにバカになって事象を楽しむこと」その気持ちを持つことだと思うんだ。そんな根源的な部分に気づかせてくれたのが、アップアップガールズ(仮)というアイドルのパーリーピーポーエイリアンというふざけた名前の曲だったの。まあ色々言いたいことはあると思うけどまずは黙ってコレを見てくれ。

 


ラクーアが #パリピエイリアン に! アプガ人類 #パリピ化 計画スタート!

 

もうバカじゃない?って感じでしょ?いやまじでそのサングラスなんなの?ダサいじゃん!その振付なに?アイーン?変なおじさん?いやいや芸人なの?きっと君もエイリアンじゃねーわ人間だわwみたいなさ思うじゃん…。でもさ、ハッピーじゃんこれ。やってる人たち楽しそうじゃんこれ。

まぁそれでも私は今回リリイベでライブに参加するまでは、きっついだろうなって思っていたんだけど全然違うよねその場に身を置いちゃうと。結局アイドルに踊らされるオタクやるのはすごい楽しいんだよね。今回、非常に斜に構えてみていた私がそうなったのはメンバーの力が大きいと思う。昨日もそうだったんだけど、その場に居さえすればメンバーがのせてくれちゃうんだよね。先陣きって誰よりもバカになってくれるのは勿論、一緒にやろうよ!って手を差し出してくれる。コッチはその手を掴むだけでいいの。そして、その手は老若男女誰の前にも差し出される。しかも優しくね。昨日あったことで言うとショッピングモールという場所柄キッズたちとその両親、所謂ファミリー層が非常に多い環境だったんだけど、そういう自分たちに興味が薄い人たちにも声をかけて一緒に踊っていた。そしてちゃんとその人たちも楽しんでいた。貼り付けた映像でもファンの若い女の子やプロレスラー、他のアイドル、ステージにはあがらないおじさんファンまで、色んな属性を持つ人々がアプガの鳴らす8ビートに身を任せてふざけたダンスを一緒に踊ってるよね。そんな状況を彼女たちは"パリピ化"と呼んでいるのよ。

 

それでね、彼女たちがしきりに言うパリピって、前述した「アホにバカになって事象を楽しむ人」というモノに加えて「誰だってパリピになれるんだからな?ハッピーになれるんだからな?」というある意味では挑発的なメッセージが含まれているんだと思ったの。パーリーピーポーエイリアンという楽曲を媒介にして、嫌なこと全部忘れちゃうくらいに、ただダンスして笑い合って、楽しいと思うこと。こんなにもハッピーなこと、を差し出される手を握り返すだけで体感できるんだよ?パリピって楽しいんだよ?と、そういう意思を感じるライブだったんだよね昨日のそれは。

 

そう思うと、あのダサいサングラスも、見栄や体裁で固められた普段の自分の顔じゃないよ!サングラスというパリピの仮面をかぶったことだし、今だけ自由になってよ!って寄り添う様な優しさに見える。振付にあるアイーンや変なおじさん、三代目J Soul Brothersの有名なダンス、そんな部分も老若男女がごちゃ混ぜになった"誰でも参加できるパーティー"の様子に見える。歌詞の「きっと君もエイリアン」ってのも、パリピを遠巻きに見て自分とは違う人種だと決め込んで、エイリアンみたいに未知に溢れて理解できないそれを避けていた誰かに、君だって飛び込んでみたらパリピになっちゃうかもよ?楽しいかもよ?みたいに訴えている気がしちゃうんだから不思議よね。

 

だからさ、アプガが示してくれたパリピは画面越しじゃなく現場で体感してほしいんだよ。だって「きっとみんなエイリアン」なんだから。帰るころには笑顔になっちゃってるんだから。

人生ドラマチックじゃなきゃムリ!!!!

 

人生はドラマチックじゃなきゃだめなタイプなんだと私は思う。バカなことを、子供じみてる、なんて言われちゃうのかもだけど…誰しもそういうものを求めてるでしょ?映画を見たり、本を読んだり、友達とバカな空想を話したり。そういうことも私にはドラマチック欲の現れに見えてしまうんだよね。安定志向に中指立てて生きるだけがドラマチック欲なんじゃなくて、そういうのもさ、違う世界の住人になって、違う思考を吸収して、あるいは主人公になりきって自分の代弁者になってもらって。みたいなモノも全部ドラマチックを求めるがゆえ、だと思うんだよね。同じような服を着て、同じような会話をして、同じような顔を作って、同じような毎日を送っていてもどこかで刺激と変革を求めてしまってると思うんだよね。

とまぁ、私の偏見に満ちたドラマチック論はさておき、アイドルってドラマチックじゃない???ってことを書きたい。あんなにドラマチックを売りにする職業他にあるのかな?少なくとも私はないと思う。星の数ほどアイドルがいる時代だけど、その光の1つひとつにしっかりストーリーがある。こちら側に伝わる人生の一部がしっかりある。ステージで踊るキラキラした部分だけ魅せるのならば、そんなこともないと思うんだけど、いまって違うじゃないアイドル。そこに至るまでの道筋すらショーの一部じゃん。歩く、意思を持ったショーケースじゃん1人ひとりが。そこがもう本当にたまらなく好き。ワクワクする。他のどんな職業より裏側を、内面を、人間性を、ストーリーにしてアイドルの魅力に変換してくれるから、きっと熱狂できる。小説のように映画のように、キレイな展開ばかりじゃなくて、上手い表現ばかりじゃないけど、それがより一層わたしを夢中にさせる。陶酔させる。

 

200人キャパすら埋められなかったアイドルが、武道館を満員にする。最初は歌もダンスもボロボロだったアイドルがいつしか人の気持ちを動かすパフォーマンスを身に着ける。バラエティでしゃべることすら出来なかったアイドルが器用に笑いを生み出す。そういうことをふつうよりずっと特別にドラマチックに感じさせてくれるのがアイドルだと思う。だって、その過程を私に握手会やSNSやバラエティ、そしてステージで見せてくれる。毎日、何を考えてるか、どんな顔をしているか、何をしたいか、全部ではないけどその欠片を私は拾い集めることが出来る。もはや、苦悩を見せることすらアイドルの仕事の様にも思えてきちゃうくらい彼女たちが頑張っている姿を突きつけられるんだもん。

 

だから、小説の主人公に共感するみたいに、スクリーンに映る誰かに感情移入するみたいに、それはもう自分の一部分のような感覚になって、彼女たちの人間性の片鱗に、親心とも初恋とも友人への親しみとも違う不思議な感覚を抱く。痛いと思う時に一緒に痛みを感じて、楽しいと思ったときに一緒に腹を抱えて笑って、ってそんな風になっていく。彼女たちのアイドル人生を並走することが、寄り添うことが、できる。だからたまらなくドラマチックなんだよ。自分以外の誰かの人生をリアルタイムで歩めるなんてそうないもの。自分とは違う刺激と変革と感性に溢れるそれを体感できるなんて最高だもの。何を言っているか自分でもよくわかりゃしないし、読み直して校正する気もない。明日になったら違うことを言ってるかもしれない。だけどとにかく今わたしはアイドルはドラマチックだから大好きだと思ってる。